注射液の投与の誤差2%。通常はこれが限界
虎の巻|001に書いたように、第1相試験では、バラツキの小さい綺麗なデータを出すと、初めて依頼していただいた製薬会社の開発担当者の方から、たいていほめてもらえる。ただし、2回目以降ではそうはいかない。1回目のレベルを前提に、以降の仕事を依頼してこられるからだ。
そのため私は、1回目より2回目、2回目より3回目と、仕事のクオリティをあげることを意識している。そうすると必然的にお付き合いが長くなるほど、努力が必要となる。いつかは破綻することが必然と思われる戦略だが、難しいことだからこそのやりがいを感じている。
例えば、D社のTさんとは10試験以上でのお付き合いだ。もはや生半可なことでは満足していただけない。そのD社の治験で、注射薬を250μL(マイクロリットル)投与することになった。
1mLまで注射できる小型の注射器のメモリを頼りに注射液を充填すると、誤差は30μLくらいある。30μLとは、人が喋る際に飛び散る唾液の粒くらいのわずかな体積なのでやむを得ないものだが、10%以上の誤差は望ましくはない。
この問題は、注射器のメモリに頼らず、注射液を充填した注射器の重さを電子天秤で測るようにすると5μLまで抑えることができる。これで誤差を2%に抑えることができるので、普通なら十分だと言えるだろう。
ちなみにこの5μLの誤差は、人の手で注射器のシリンジを押す際の力加減の限界を反映している。
だが、それでは今までやっていた仕事のレベルと変わらない。もっと精度を上げるために、新たな工夫ができないか。
誤差を極限までなくしたい。新たな工夫
私は何か困ったことがあると、職場の近くにあるホームセンターに行くことにしている。ホームセンターには、ありとあらゆる道具がある。注射器のシリンジを繊細に押すことができるものが売っているに違いないという直感があった。
するとホームセンターの売り場を見て回った1周目、万力が私の目に入った。そうだ、実験用のピペットは、ネジ式で微量な体積を調節する。こういうものが何かあるはずだ。
2周目を回り始めるころには1時間以上も経っていた。そして見つけた。『それ』は家具コーナーの片隅にあった。部屋の鴨居に取り付けて、ハンガーをかけるための生活用品『カモイフック』だ。いろんなサイズの鴨居をはさむ構造は、まさに実験用ピペットの調整部分と同じ構造をしている。
私は『それ』を買って、大阪治験病院に戻り、注射器に取り付けてみた。すると1μL単位で注射液量を調整でき、投与量の差を限りなく0にすることができた。
結果として、その注射の試験はとてもうまくいった。そしてD社の方から、カモイフックで投与量の誤差を限りなく0にする工夫も好評をいただいた。
あの試験から7年経った現在、Tさんの家には、かつて私がホームセンターで見つけた『それ』がある。本来の使われ方、鴨居に取り付けられてハンガーをかけられているそうである。そしてTさんは『それ』を見るたびに、あの試験のことを思い出してくれるそうだ。
こういう誰かの記憶に残るような試験を、もっとできるようにしたいと最近は考えている。
(公開日:2024年6月11日)
筆者プロフィール:
古家英寿
医療法人平心会 大阪治験病院
日本臨床薬理学会(専門医・指導医・評議員)
日本内科学会認定総合内科専門医
大阪大学医学部 特任准教授