皮膚に塗って体内吸収される量は2~3%、その微量同士を比較せよ
ある年の5月の連休明け、私は大阪治験病院の机に座って、休み中にたまった診察記録の記載など書類作業に追われていた。
「先生、結果が送られてきましたよ」
営業のOさんが、ニヤニヤしながら歩み寄ってきた。彼のゴルフ焼けした長い腕の先には10枚ほどの書類が握られていた。
「どうでした?」
私はボールペンを握る手を止めた。
「だめでしたねぇ」
(あぁ、やっぱりかあぁ)
受け取った書類を見てみると、一人ひとりの薬物動態のグラフの線が上下にギザギザしている。この仕事を20年以上も行っている私にとっても、初めてだと断言できる激しくバラついた惨憺たるデータだった。
塗り薬の同等性試験だったが、実施する前から私は不安を感じていた。その塗り薬は、塗ったうちの約97%が皮膚にとどまって皮膚で作用し、約2~3%が皮膚を超えて体に吸収されるという。変わっているのは、その同等性試験で評価するのは、皮膚にとどまった97%の方ではなく、体に吸収された約2〜3%の薬の血中濃度という点だった。
皮膚に塗られた薬の量を比較するのなら、とても簡単に同等性の証明ができる。しかし、体に入るたった2~3%くらいを、2つの製剤で比較することにはとても無理がある。
もし一方の薬が2%吸収され、もう一方が3%吸収されると1.5倍もの差がつくことになる。吸収された薬が内臓の有害事象を引き起こす可能性があるからとの理由だそうだが、果たして合理的な話なのか極めて疑問だと感じた。
何より、同等性を得るには、バラツキのすくない綺麗なデータを得なくてはならないが、ほんのちょっとの何らかの要因で少しでも皮膚からの吸収がかわると、同等性なんてとれるわけがない。
だがこの試験を依頼した企業の方の決意は固かった。
「私たちとしては、なんとしてでもこの同等性試験の成功をなしとげたい」
このように言われると、やるしかなかった。
試行錯誤を重ねて、マニュアルはついに12版まで
それから試行錯誤を重ね、数回の治験を行った。我々が行ったことは主に以下の点である。
①日焼けやアトピーの傾向がある人をさけることで、参加者の皮膚の状態を比較的一定にした。
(日焼けで参加できなかった参加希望者の方、ごめんなさい)
②看護師が治験本番で薬を塗る際は、ケーキ職人のような精密な手の動きでバラツキを減らすように練習を重ねてもらった。
(担当した看護師は、投与前日はいつも緊張して腹痛がおこったそうだ)
③エアコンの風が薬を塗った部分にあたらないように、天井のエアコンに風よけの器具を設計して取り付けた。
(風よけがいつでも作れるように、CRCのM君に綺麗な設計図を書いてもらった)
④精密な温湿度計を用いて、投与日の病室の温度のバラツキを1℃以内、湿度のバラツキを5%以内に保つように徹底管理した。投与日の1週間前から天気予報をチェックし、数日前から温度・湿度を予測して当日に備え、雨のときはエアコンで除湿と冷暖房を、晴れのときは数種類の加湿器を10台ほど使って加湿と冷暖房で、病室内の温度と湿度を適正に保った。
(手作業にもかかわらず、コンピューター管理の恒温恒湿室を超えるくらい綺麗に温度と湿度を保つことができた)
しかし同等性の壁は厚く、なかなか成功しなかった。試験ごとに作成していたマニュアルは第12版となっていた。ただ、試験を行うたびにやり方を見直したおかげで、だんだん良いデータが得られるようになってきた。そして手技は、最初のころからは考えられないほど洗練されていった。
最初の試験から3年ほどたった2月のとても寒い日、この試験を担当していたCRCのI君が、私のいる医局にやってきた。彼は、この試験のために、病室の広い窓に断熱シートを貼ってくれた頑張り屋だ。
「先生、結果がでました」
I君の声は震えていた。来るべき日がきたのか、いやそれとも……。
私は、パソコンでメールを開き、添付された薬物動態のデータファイルを、祈りながらクリックした。
「お……」
私が声をもらすと、I君の顔が一瞬くもった。表示された画面の数字が細かすぎて読めない。私は老眼鏡をかけてもう一度みてみた。
「いや、と、とれている……同等性だぁ」
「わあぁ」
I君は今までみたことないほど目を見開いていた。
私はデータを拡大してパソコン画面に表示し、I君に見せた。対照とした薬と、今回作られた薬の薬物動態の曲線がとても美しく、しかもあまり差がない。
ついに私たちはやりとげた。
あれからだいぶ月日が流れた。あの試験は、おそらく、かかわったすべての人にとって、最も苦労をした試験だった。そして同時に、とても感動的な出来事として心に刻まれた同等性試験だった。
(公開日:2024年9月17日)
筆者プロフィール:
古家英寿
医療法人平心会 大阪治験病院
日本臨床薬理学会(専門医・指導医・評議員)
日本内科学会認定総合内科専門医
大阪大学医学部 特任准教授